偶然
乗り合わせた電車
自分の母校の元校長先生がいる
緑ポロシャツに黒パンツ、運動靴
ピンクスーツばかりが印象に残っていたのでなんだか違和感
「死にたい」と言う のは痛いほどの生の実感だと思う。
だからと言って、みんなが死にたいと思えなんて微塵も思ってない。「私は結局生きていたい。」
多分、僕の周りの「死にたい」ってのは
「社会的関係から逃げたい」の同義語として使われている気がする。
それを本当に死にたいと混同してしまうのか、生を止めたいくらいつらいのか。
多分、完璧を求められる能力はない。理想と現実のバランスがとれない。
神経質だよなぁと思う。
死にたいと思わないのが正常なのか?
死にたいと思うのものは蔑むべきか?
それが言葉としての形「死にたい」と成って出てくる
語彙の少なさや
他に逃げ方を知らない知識の無さ
こそ在れ
逃げ方を知らないこと
昇華できず
当たり散らすこともしなかった
そのこと
自分を重ね合わす
事が出来なかった
まだ間に合う のなら
何が出来るだろう?
あなたの言う正常には
私 もう踏み外したらしいじゃない
薬で抑圧しない
まったくのそのままの姿を見せて
思い通りに動かすことが出来るなら
その薬を頂戴
「信じて良いよ」
無骨で不器用な
この あたし ぉ