時。
時を共にしない事は、
こんなにも互いを知ることが出来ないのか
と
思うことが、3つくらい重なってる。人数にすれば、もすこし増える。
それを埋めるのが、言葉で、コミュニケーションで。
様々な手段を使ってそれを全うしようとしてるんだね。
携帯やインターネットは、手軽さに頼りっきりになってしまって。
顔を見ずに、推測が飛び交って、
根本の親しさが必要な場面を、2つの出来事で感じてる。
奇しくも、その2つの出来事は、
もっと情報を提供する事と、
無責任な感情の表出の抑制を
必要としている。
矛盾はしていない。
もっと大事な人を知ろうとして、
手を尽くすことに変わりはない。
勝手に知っておいてくれと思うのは傲慢だ。
知らないと言うのも我が儘かと思える。
僕は、交流が自分の長所だと思ってた。
でも、僕は全員の責任をとれるだろうか?
全員を必要程度、把握しているか?
そして、やるべき事は山積み。
バランスも何もない。
僕が怒られ続けてきたことは、コレだったのか?
懸念されていたことは、これなのか?
今度は、あるのか?
あったとして、
許されるのか?